

あれから37年もの月日が流れております
近年、ノーベル文学賞の最有力候補と圧倒的な存在感を示される村上さん
じつは私のところへも沢山の取材依頼がやってきます
事前の取材はもとより、文学賞直前のカウントダウンまで・・・
何故私なんかのところへなのか・・・
「村上氏の人間像としての痕跡がどこにもない」
・・・からなのだそうです
星野道夫さんとは一頁をを共有した自覚はあります
30代の迷走時点、熱く人生を語ったり、仲違いした時間もありました
それでも死の直前までお互いを確認しあう濃い人間関係でした
しかし、村上さんに関しては一方的なシンパシー
深い印象はありましたがとても瞬間的な過去であり
何かを語ってよいほどの具体性はけして感じてはおりませんでした。
そんな私にとって「木野」(短編集「女のいない男たち」)との出会が
少なくともあの日、あの時の記憶が作家のオマージュとして投影されたのではと
リアリティーを持って蘇らせてくれました
当時私が飼っていた愛猫が象徴的に登場していたのです
名は「ガンジー」周辺住民の方々にも大変愛され
ファンのお客様も沢山抱えておりました・笑
容姿や存在感は村上さんの描写がそのままです
八幡店を開き谷津店を次郎さん(弟)に任せてからも
「不在の私に成り代わって管理している」
彼にとってはそんなプレッシャーがあると言っていました
お客様がドアを開けるまでじっと入り口で待っている
唯我独尊、けして鳴くことはなく
私にしか懐かない猫でした。
もちろん作家の創造的、シュールな物語においてです
私の戯言がまったくのお門違いであることは覚悟の上
それでもただ事ではない形而上的な何かを受けとってしまったようです。
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私が修行に出始めた頃、知人に
「お店をやりながら小説を書いている男がいる、君も参考になるのではないか」
画業とお店の経営を目指していた私にとっては大変興味深いお誘いでした
場所は千駄ヶ谷
紹介され、少ない言葉を交わしたのですが
なんとも頼りないぼんやりした印象で…
「こんなおとなしそうな人がやれるなら私に出来ない筈がない」
などと考え、意を決していたお馬鹿な若造を
村上さんどうかお許しください
お店の感想は、手造り感のあるジャズバーとでも申しましょうか
ジャズ喫茶の設備とレコードの量があり、お酒とおつまみ
食事が出来てとてもお洒落な雰囲気です
当時ジャズ喫茶はジャズ喫茶であり、その場所で大きな声で
談笑しながら食事とお酒が楽しめる
その後、カフェ・バーと言うのがずいぶん流行したのですが
その先駆的な存在であったのではと思います
氏はほどなく新人賞をとられ小説家デビュー、
その後のご活躍は皆さんご存知の通りだと思います

村上さんは取材もかねて何度かお店を訪ねてくださり
まったくお客さんの来ないお店を心配して(笑)
「螢明舎のコーヒーはおいしい。」・・・などと
エッセイの中で取り上げたりしてくれました
(ビックリハウス1984年6月号)
村上さん、その節は大変ありがとうございました