月光

cafe螢明舎には

何人かの巨匠と言われるピアニストのアルバムがあります
中でもバックハウスのピアノソナタ集
とくに「月光」は端正な音色でビロードです

そして、私をあの頃に連れて行ってくれるのです

痩せこけて、Tシャツに絵の具だらけの汚いGパン
ベルトは無いので紐でありました
キャンバスを抱え、電車に乗ると人が離れます

アルバイトに明け暮れ、孤独な都会暮らしでありました
浴びるほど飲む酒は切なくて「俺はいったい何やってんだろ」
なんていつも考えていました

画学生時代、都立家政(高円寺の奥まったところ)という所に下宿していました
木造二階建てのアパート、西日のキツイ角部屋で
南側には少々汚いが妙正二川が流れていました

昼夜逆転した生活は、きつい西日が目覚まし代わりです
いつものように全部の窓を開け放ち、玄関のドアまで全開にしていると
抑制の効いたピアノの音色が風にのって聞こえてきます

ベートーヴェンの「月光」でした
それは東側に広がるこんもりとしたお屋敷からの旋律でした

いったい誰が引いているのか・・・
妄想は広がるばかりでしたが、ついにお逢いすることはありませんでした
(私の中では、深窓の令嬢、黒髪は腰まで伸びやや病弱・・・と決まってました・笑)

そんな前後不明の輩の巣を、1人のクラスメートが訪ねてくれました
微笑がいつも優しくて、よく勉強を教えてくれました
鬱積したエネルギーを「うん、うん」と必ず受け止めてくれたものでした

彼女は30歳そこそこで病を得
優しい旦那さんと一粒種を残し他界されました
あんなに悲しいお葬式はありませんでした

日が傾きはじめると「月光」が聞きたくなります

荒れ果てた心に西日のアパート
なにより、底抜けに優しかったクラスメートの微笑が巡ります

1970年代後半のあの頃です。

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