当時所属していた美術団体がサンフランシスコに遠征しました
たしか現地の有力新聞のバックアップであったと思います
「ジャパン・アート・ナウ」といったコンセプトを詠い
私も、そのメンバーに誘われて参加することになったのです
まだ谷津店が開業して数年、スタッフのことも心配で躊躇しておりましたが
「心配しないで行ってきてください」当時のスタッフに励まされ(?)参加することになったのです・・・
期間は1ヶ月、それまでの数年、お店を休んだことは一日もなく
まして人に任せてお店を空けるなんて(いまではしょっちゅうですが・笑)大変な勇気でした
あのころの、お店を愛し、責任感の強かった連中とは
いまだに付き合いがあります、40代後半かな(?)
財閥系企業に進んだものが多く、みんな出世してお偉いさんになっちまいました(笑)
いずれ30号位の小品を2点抱え、いざ サンフランシスコ!!
ギャラリーのあった場所はたしかブラウンストリートの路地を入ったところ
コイトタワーが近くにあったと記憶しています
宿舎は近くのレジデンスハウス(?)でユースホステルのような安宿でした
このレジデンスハウス、世界中からバックパッカーなどが泊まっていたのですが
あまりプライバシーが無くむしろ劣悪(笑)語学がだめな私は毎日大変でした(笑
)
ある日、そんな宿の大リビングで、宿泊者全員が注目していたのがオリンピックの柔道でした
いったい何十人がTVを見ていたのだろう・・・
怪我をしながら金メダルに輝いた柔道家、山下に世界中の旅人から賞賛と握手、抱擁の嵐
まるで私が金メダルを取ったような歓喜の坩堝でありました
あれほど日本人であることが誇らしかった事は無かったと記憶しています
脱線しました・・・
この展覧会、地域の美術家や愛好家の集まるレセプションからスタートし
山下人気も手伝ってか(笑)そこそこの来場者数
私の作品も、興味を持ってくださった愛好家の方々に沢山の質問や評を頂戴しました
(ギャラリーには通訳が常駐してくれていました・笑)
そして、そこで知り合った芸術家や愛好家と連日のパーティー、飲み会がスタートするのです
ご存知とは思いますが、サンフランシスコはゲイのメッカであります
とくに芸術を愛する方々にはゲイの方が多い、ギャラリーのオーナーもゲイ
パトロンといわれるお金持ちの方々もゲイの方が大変多かったのです
現地で知り合った日本人作家のみんなも男女問わず
大なり小なり、ゲイのお金持ちのお世話になっていました
そして私も、ギャラリーのオーナーはじめ、ゲイの方々に沢山お声をかけて頂いたのです(笑)
「プリントはおやりにならないの~ん(版画のことです)」
「ファインアートはサンフランでは売れないわよ~ん」
「着るものはおありなの~ん、かいものにいきましょ~う」
などなど、ともかく親切(笑)
とくに、近くの有名大学の芸術学部の教授とおっしゃる方には
熱心な評や、ディナーにも誘っていただき、パトロンも紹介してくれる・・・など
夢のようなお話なども頂戴しました
しかし、この方の下心は有名らしく
通訳殿に助けていただき事無きを得るような按配でした(笑)
さて、そんなこんなでサンフランでの1ヶ月の生活が始まりました
どたばたの中で奇跡的に出会ったヨーロピアンスタイルのコーヒーとは
話が長くなったので小休止
次回のお楽しみとしてください(笑)
つづく。。。