その他の飲み物

珈琲や珈琲のバリエーション以外の飲み物は、
珈琲屋としての範疇からは少し外れますが
あえて遊び心としてご用意させて頂きました

珈琲の苦手な方や珈琲の前に
ちょっと遊んでみたいというお客様にも
お店を楽しんで頂けるのではと考えております

ブレンド以外のお飲み物をご注文されても
その後、ブレンドをご注文されますと
「おかわり」のお値段としてご提供させて頂いております

これは、ブレンドをより楽しんでいただけたら・・・
というお店からのご提案として
ご理解頂けますと幸いです

お菓子について

cafe螢明舎では、パン以外のすべての食材を
自家製としなければいけませんでした
それは、まず珈琲ありきだからです
オールドビーンズを扱う職人として
珈琲以外のことに手を出すことは相当はばかられましたが
ケーキ屋さんからのデリバリーでは濃厚な珈琲に
負けない存在感を求めることはできず
当時の珈琲屋の仕事としてはかなり難しい、
実験的な仕事として悪戦苦闘いたしました
もちろん「珈琲のお供だから…」と自分を納得させる事が
一番大変だったのは秘密です(笑)

結果として、珈琲を愛する焼き菓子の専門家に出会えたことや
自然養鶏農家の卵に出会えたこと
なにより図体ばかりでかいが
まったく前時代的ガス釜(笑)に出会えたことが
cafe螢明舎を焼き菓子へと導いてくれたのではと考えております
また、当時お菓子造りに携わってくれた
スタッフ達の努力も忘れることはできません

後年、ヨーロッパ南部を旅する楽しみを覚え
作ってきたお菓子や食材のルーツに出会うことができたのですが
濃厚な珈琲と焼き菓子の関係に深く納得し
食文化として自然な流れを感じることができたのは幸いでした

見た目は地味で和菓子の様でもあるのですが
珈琲と共鳴しあい絶妙なマリアージュに
仕上がってくれたのではと考えます…

村上春樹さんとの出会い

あれから37年もの月日が流れております

近年、ノーベル文学賞の最有力候補と圧倒的な存在感を示される村上さん
じつは私のところへも沢山の取材依頼がやってきます
事前の取材はもとより、文学賞直前のカウントダウンまで・・・

何故私なんかのところへなのか・・・
「村上氏の人間像としての痕跡がどこにもない」
・・・からなのだそうです

星野道夫さんとは一頁をを共有した自覚はあります
30代の迷走時点、熱く人生を語ったり、仲違いした時間もありました
それでも死の直前までお互いを確認しあう濃い人間関係でした

しかし、村上さんに関しては一方的なシンパシー
深い印象はありましたがとても瞬間的な過去であり
何かを語ってよいほどの具体性はけして感じてはおりませんでした。

そんな私にとって「木野」(短編集「女のいない男たち」)との出会が
少なくともあの日、あの時の記憶が作家のオマージュとして投影されたのではと
リアリティーを持って蘇らせてくれました

当時私が飼っていた愛猫が象徴的に登場していたのです

名は「ガンジー」周辺住民の方々にも大変愛され
ファンのお客様も沢山抱えておりました・笑
容姿や存在感は村上さんの描写がそのままです

八幡店を開き谷津店を次郎さん(弟)に任せてからも
「不在の私に成り代わって管理している」
彼にとってはそんなプレッシャーがあると言っていました

お客様がドアを開けるまでじっと入り口で待っている
唯我独尊、けして鳴くことはなく
私にしか懐かない猫でした。

もちろん作家の創造的、シュールな物語においてです
私の戯言がまったくのお門違いであることは覚悟の上
それでもただ事ではない形而上的な何かを受けとってしまったようです。

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私が修行に出始めた頃、知人に
「お店をやりながら小説を書いている男がいる、君も参考になるのではないか」
画業とお店の経営を目指していた私にとっては大変興味深いお誘いでした

場所は千駄ヶ谷
紹介され、少ない言葉を交わしたのですが
なんとも頼りないぼんやりした印象で…
「こんなおとなしそうな人がやれるなら私に出来ない筈がない」
などと考え、意を決していたお馬鹿な若造を
村上さんどうかお許しください

お店の感想は、手造り感のあるジャズバーとでも申しましょうか
ジャズ喫茶の設備とレコードの量があり、お酒とおつまみ
食事が出来てとてもお洒落な雰囲気です
当時ジャズ喫茶はジャズ喫茶であり、その場所で大きな声で
談笑しながら食事とお酒が楽しめる
その後、カフェ・バーと言うのがずいぶん流行したのですが
その先駆的な存在であったのではと思います

氏はほどなく新人賞をとられ小説家デビュー、
その後のご活躍は皆さんご存知の通りだと思います

そして、私のお店もひっそりデビュー(笑)

村上さんは取材もかねて何度かお店を訪ねてくださり
まったくお客さんの来ないお店を心配して(笑)
「螢明舎のコーヒーはおいしい。」・・・などと
エッセイの中で取り上げたりしてくれました
(ビックリハウス1984年6月号)

村上さん、その節は大変ありがとうございました

星野道夫さんのいた風景

「星野さん、顔がエスキモーみたいだよ
あはは、いってらっしゃい!」
彼はニヤリと笑い、ペコリと頭をさげて「いってきまーす」

それが最後の別れにされるとは・・・

冬のはしりに来日し春の頃にはアラスカに帰る星野さんでした
しかしその年はアラスカに帰ることがあったのか、大変忙しそうでした
カウンターの端っこで原稿に向かう姿は以前とは違った印象を受け
私が雑談を吹っかけ邪魔でもしようものなら、
怒られることおびただしい雰囲気でした
「カムチャッカに取材に出かけることが恐ろしくて仕方がない」
そんな話をハスッパに受け流していた私は、
深夜の臨時ニュースをビール片手に遭遇し
魂を失ってしまうことになります

八幡店を開店して間もない頃
ずんぐりとした山男が来店されました、しかも毎日いらっしゃいます
「あのー、どちらの山岳会の方ですか?」
高校時代水泳部であった私は、有り余る体力をかわれ山岳部にも顔をだしており
もしや地元の有名な山岳会の方かと、憧れの眼差しで質問いたしました
「いや、山屋ではありません…」
これが最初に交わした言葉でした

お店は毎日まったく暇で(笑)
決まった時間に来店される星野さんとの雑談が唯一の楽しみ
星野さんもまったく暇そうで、隣に座り込んでおしゃべりをする始末でした

そんなある日
星野さんの大親友が火山弾にあたって遭難された話をされたのですが
まったく偶然にも、その直後にその山系を私が単独行していたのです
それがどんな意味をなすことなのか理解を超えた偶然でした
以来、心にしまっていた様々な領域を吐露しあうようになりました

アラスカでの体験談や人々の話も沢山してくれました
あたかも馬鹿げたストーリーがとても楽しく
その説得力は劇画に登場する冒険家、ヒーローを独占しているようでした
「アラスカにおいで」「あんな原始の世界には絶対に行かない」
なんてくだらない言い争いまで(笑)

アラスカの写真集との出会い、
アラスカに住み、アラスカを生きてゆく
すべては運命だったんですね

眩し過ぎる、優しく、思慮深い兄貴は棺の中で微笑んでいました

お店には、星野さんご自身が持って来てくれた本や写真集があります

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追記

ある日
星野さんが深く尊敬していたお父上が突然お店を訪ねていらっしゃいました
ご葬儀のときは悲しみにくれ小さく見えたお姿でしたが
その頑強な大きさは90歳を越えられるのか、とはとても思えないお姿

私の手をしっかり握ってくださり
「足が悪くて…、早くお尋ねしたかったが今日になってしまった」
「家にいらっしゃい、2人でゆっくり道夫の話をしましょう」

一年後、大切な約束も果たせぬままお父上もご他界されました

自らの仕方の無さは限りがありません………

二郎さんの思い出

八幡店を設立するにあたり
家具屋でサラリーマンをしていた弟を
谷津店の店長にしようと考えました

半ば強引なのは長男のなせる業…早速退社してもらい(笑)
友人のフレンチのお店に修行に出てもらいました

昔から病弱、無口で引っ込み思案
しかし心の純粋さは珈琲の味に表れ、業界仲間でも評判の美味しさでした

そんなある日
普段けして泣き言を言わない強情者が
「兄貴、調子が悪いんだ、病院に行かせてくれ」
「おまえ、ふざけるな!年末の忙しい時になに考えてる!
2日我慢しろ!シフトを整えるから」
まったく鬼です……

弟は、三が日が明けて病院に歩いてゆきました
すると病院から呼び出しの電話です、入院であること、私に来院する事
着替えなど持参し、半信半疑で医者の元へ出かけました
「お兄さん、肺ガンです、余命は2週間」そう告げられました
見せられたレントゲンは真っ白で肺の痕跡がうっすらと…

「は?」

「兄貴、悪いなーシフト大変だろ・・・」

あっさり2週間で逝きました
看護師長さんから最後にこう告げられました
「立派でした、本人は大変な苦しみのはずなのに、
痛いの・い・もありませんでした」
「こんな患者さんは私の経験ですが、会ったことがない」

彼のアパートを片付けながら、そこを出るときの覚悟を悟りました
まったく整理されていたのです

小さいときから足手まといで、病弱で・・・
師長さんの一言は、人として、男として
超えられそうもない命題を授かった気持ちです

彼には沢山の常連さんがついていました
この場を借りて、深く御礼申し上げます

お店のはじまり

「絵描きは生活をやらなければいけません」
師の言葉を反芻し公募団体に所属しながら
絵描きとしての人生を模索しておりました
この「生活」とは画業を継続するため収入を確保することを意味します
絵を描くことは「仕事」と言うことになります
年に4回の展覧会(上野東京都美術館や銀座のギャラリー)を中心に
アルバイトやら絵画教室などで生計をたて
まったく暗中模索の毎日でした

そんな折、京成谷津遊園の閉園が決定し、園につづく商店街での暮らし、
家業が成り立たなくなってしまったのです
時折お金の無心をしていた私にとっても大問題(笑)

私は、家長である母を説得し「喫茶店」の経営を考えたのです
「3年も辛抱すればアトリエにもどれるだろう…」
そんな稚拙な出発点でした

しばらく筆をおき、修行に出る事を決意したのですが…
アトリエに篭り自閉症のような生活をしていた者にとっては
難行苦行だったのはなんとも情けない話です(笑)

嗜好品としていろいろな価値観に出会いながら
いつのまにやら本気モード…
結局は「喫茶店」ではなく「フレンチスタイルの珈琲屋」という
ディープな分野にたどり着けたのはほんとうに幸運でした

フレンチスタイルは当時傑出した珈琲の価値観を作り出しており
(現在は絶滅危惧種ですね…笑)
珈琲好きにとっても憧れの分野であったのです
この分野で技術を習得できたことは
現在に至るまでcafe螢明舎を
支え続けてくれる、貴重な修行になりました

ちなみに……
「けいめい」は確か『蜻蛉日記』の一節から
忙しく立ち働く、といった意味であったと記憶しています
それに苦しかった画学生時代を投影させて「螢明」と
当て字をさせていただきました
なんとも青臭くお恥ずかしい限りです

お店造り

さて、一番楽しめたお話です

ここでは私の得意分野を生かすことができました
画学生時代散々苦労したデッサンがこんな形で答えをくれるのかと
正直自分でもびっくりいたしました
この場合、デッサン力とは物を写し取ることではなく
何事であるのかを読み取り
概念として意図的に造り上げる術
とでも申しましょうか
理屈っぽくて恐縮です(笑)

お店といよりは彫刻、オブジェとして取り組みました
工程としては私がラフスケッチを起こし、建築士に図面にしてもらい
大工さんに形にしてもらう…とまあ話は簡単そうなんですが
問題は、現場で設計変更をどんどん要求してしまう小理屈ばかりの私です…
結果どうなるかというと…(汗)

谷津店の場合は
「こんじゃ柱がたんねえ!」「強度はどうすんだい!」
「こんな傾斜じゃ和瓦はのんねいやい!」
「横だって言ったじゃねえか、縦にすんのかい!」
「こんな良い材料床に使う馬鹿はいねぇ!」(ちなみに、桜です)
「こんな面積、漆喰がおっこったってしんねえぞ!」

八幡店の場合は、2店舗目ゆえ少々成長して
「こんな長げーカウンターどっからいれるんだい!(ちなみに7mです…汗)」
という程度…

いや〜、あげたら限のない罵声が飛び交い、戦争でした(笑)

特に谷津店は、完成までにほぼ1年近くかかってしまいました

宮大工の流れを組む方が取り組んでくださり
瓦にいたっては「おらあノイローゼになりそうだ・・・」と
一枚一枚銅線で吊ってくれました
カウンターの変更は間に合うことが出来ず
1mばかり継ぎ足しになってしまったのは残念の極みです

携ってくれた職人さん達、ほんとうにありがとう
谷津店は未だ建っております、瓦も落ちません
床も指示どおり定期的に油をひいております

八幡店はテナントですので限りがあり、そういった難しさはありましたが
カウンター以外はすんなり作り上げる事ができました(笑)

そうそう、材木屋さんも安くおろしてくれて(汗)、ありがとう!!

家具について

cafe螢明舎はアンティークだよ、とよく言われます
まあ、店主が骨董品だと言われればその通りなんですが(笑)

実はすべてが注文制作して頂いた物なのです
谷津店はブナ材やブビンガ材をつかって私がデザインいたしました
直線ばっかり、シロート丸出しの逸品です(笑)

八幡店はテナントゆえ
インテリアを自由にあそぶことができなかったので
家具に重きを置こうと考えました

テーブルは、鹿児島にある知り合いの障害者自立支援施設で
私のデザインを元に造っていただきました、特徴は漆塗りなんですよ
しかし、椅子は難しくて作れないと言われてしまいました

「やばい・・・」

椅子が夢に出てくるほど追い詰められ、探しまくりました
そこで遂に辿りついたのがシェーカー家具でした

18〜19世紀、静謐をもってよしとする敬虔なクリスチャンが
唯一の収入源として造っていた家具です
その戒律は厳しく現在では消えてしまったシェーカー教徒の家具
そのデザインを復刻した職人さんがいたのです
松本で工房を開いていた家具職人「梶山さん」がその人でした

シェーカー家具の日本第一人者として名を馳せていた方なのですが
強烈な作家魂で…(正直ちょっと怖かったです…笑)
「お店を満たすほど沢山造れやしない」とぜんぜん受け付けてくれません

シェーカー家具は「楓・かえで」と言う材木を使い
軽くて、しなやか、ですが扱いが非常に難しく
おまけに材料として寝かせたものは貴重で量がない
たとえば、どこぞの大物ロックギタリストの
「タイガー模様」、ヴァイオリンの背板など
大変な値がついてしまうものなんだそうです

私は梶山さんの「気」に負けないように
必死に喰らい付き、説得、お願いし続けました
朝一番にお邪魔して、やっとご理解を頂く頃にはもう真っ暗

ついに根負けしてくれた梶山さんは
「開店に間に合うように総て揃えてくれる」と約束してくれました
おまけにサイドボードや譜面立て、
ウインザー調の肘掛け椅子などもプレゼントしてくれ
足りない分は桜材の椅子を用意してくれました…

梶山さん、貴重な仕事をほんとうにありがとうございました

しかしながら、お店の歳月とともに
一番弱い和紙でよりあげた座面が痛んでまいりました
座るのにさほど支障はないのですが
「いつでも修理するよ」と言ってくれた梶山さんは
他界され、後継者も残せませんでした
仕事を継承する難しさは、象徴的な難問ではと感じてしまいます

お客様にはご迷惑では有りますが
貴重な椅子・道具を使い続けるのも
cafe螢明舎にとっては大事な価値観です
必ず直してくれる職人さんを見出せるまで
暫しのご寛容をお願いしたいと思います

最後に秘密をひとつ…

八幡店には大げさなサイドボードがあります
星野さんの貴重な本も有るのですが
実は、真ん中にちょこんとある
「ロダン(カミーユの首・習作)」の為にデザインした入れ物なんです
ふ・ふ・ふ………

珈琲の楽しみ方について

ご自由にどうぞ!
・・・と言うのが本音です(笑)

というのでは「HPを作った意味がないでしょ」と
若いスタッフに叱られそうなので
ひとつの意見として能書きにお付き合いください

ある映像作家に
「珈琲に詳しくなるにはどうすればいいの?」と聞かれました
「私だって知ってる事しか知りませんし、そんなの解りませんよ」
「ただ想像するに、毎晩何作ものDVDを見たところで、
果たして映画通になれるでしょうか」
そんな禅問答で大笑いいたしました

「珈琲の味の深さは、その方の人生観や経験値、
なにより日々楽しむ心に正比例する」

とは先人のお言葉です
味や形に定点を見出すことではなく
(そんなものは有り得ないと思いますが)
イマジネーションを刺激してくれる触媒として
多様な琥珀色の世界を楽しむことが
貴重な経験へと導いてくれる
少なくとも、私はそう信じております

しかし、この部分を掘り下げると大変なことになるので(笑)
「cafe螢明舎限定の嗜好品」としてお話しさせてくださいね

「珈琲の話」でも書きましたが
cafe螢明舎ではブレンドが生命です

ロア・ブレンドはソフトなタイプ(コクとやや酸味を帯びた甘味)
ケア・ブレンドはストロングなタイプです(コクに苦味が調和した甘味)

どちらも濃度は同じなのですが、豆の種類、焙煎の度合いも
それぞれまったく違います(詳細は秘密ですよ…笑)
お好きな方はブラックをお勧めします、純度の高い珈琲の
トロリとした濃度と糖質を味わって頂けると思います

cafe螢明舎のブレンドは、お砂糖とクリームを入れることで
お菓子のような個性を発揮します
お砂糖は純度の高いザラメ、クリームは
乳脂肪分45%の生クリームを使っています
珈琲の力強さに負けないように行き着いた
レシピなのですが、少し技がいります(笑)

①まずザラメをお好みでいれて頂きよく撹拌してください
(ザラメゆえ溶けにくいのです)
②次に生クリームのピッチャーを食器のふちに当て、
 滑らすように注いでください
 生クリームは珈琲の表面に浮かび乳白色な表面が出来上がります
(生クリームゆえ冷たくなっています、
 かき混ぜてしまうと珈琲の温度も下がってしまいます)
③そのままお口に運んでいただければ、口の中ですべてが交じり合い
 ハーモニーの出来上がり

カフェ・オ・レもおすすめです
こちらは乳脂肪4・4%(濃いでしょ…笑)
コン・レ・チェはこの牛乳を楽しんでください
隠し味が決め手なんですよ

「お菓子の話」でも書きましたが
珈琲とお菓子のマリアージュも是非お試しください
ハーモニーが絶品です

そうそう、最近コーヒーカップにスプーンを入れたまま…
という風景をよく拝見いたします
私にはとてもエレガントには思えないのですが
これはマナーなんでしょうか
その理由をどなたかご存知でしたら教えていただけませんか?
よろしくお願いいたします

クロスオーバー

スティング
ご存知の通り、スタートはパンクロッカーであったとおもいます
私はクィーンの方が好きでしたのであまり興味はありませんでしたが(笑)

しかし、後年、「レオン」のテーマ音楽を手がけ再認識させられました
(私はジャン・レノよりゲイリー・オールドマン好き・笑)
「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」や「シェイプ・オブ・マイ・ハート」などが大変気に入ってしまい
以来意中の人物なのです、そんな彼が最近はリュートを使った古楽を手がけている

ロック⇒古楽

なんというクロスオーバーであろうか
年月のなせる業として
専門家が遊びの世界を極めて行くひとつの象徴、そんな気がします。

私のお店では、日の高いうちはクラッシック、と言うのが基本です
さて、スティングの遊びの世界を受け止められるのだろうか。。。