下北沢散策

とは聞こえがよいが、道に迷ってウロウロしてしまった(笑)
久々の下北とはいえ工事だらけである、再開発の嵐
目当てのピッェリアを発見するのに大汗をかきました

おかげで街を堪能することが出来たのですが
今更ですが、そのかわり様は目覚しく、日が暮れて大人の時間になれば
きっと顔を出すであろうポテンシャルをまったく感じません

なんか幼稚な街になっちゃたな~
しかし、古いカフェが生存しているのは安心というか流石
文化の濃さは相変わらずのようです

さて、お目当てですが、これも最近では当たり前の感がある
石釜のお店であります、石釜でなければピッェリアにあらず
イタリアで食べるそれとソンショク無いどころかまるでイタリアであります

釜の柔らかい炎をながめつつ
ワインを頂きながらたらふく堪能してまいりました。

フレンチスタイル?

その1

cafe螢明舎では
フランネル(布)を用いて珈琲を抽出します
一杯取りで5分程度、それ以上(3,5,10,20杯など)は10〜25分程度を要します
職人の育成など手間のかかるスタイルゆえ
原点であるヨーロッパでも殆どお目にかからなくなってしまいました

じつは、この「布」を用いての抽出を考案したのが16〜17世紀のフランス人であり
「フレンチスタイル」の語源なんです

イタリア料理がフランス料理へと体系つけられていった歴史と時を同じくし
それまでアラビアンスタイル(煮出して上澄みを飲む)であった濁った珈琲を
布で濾過することにより、澄んだ、コクの深い珈琲へと進化させました

当時、貴重品であった珈琲を嗜めるのは、王族や貴族、上流階級といった人々で
食事の最後に登場する珈琲にも完成度をも求めたに違いないのではと考えます

お抱えの職人(料理人?)達が主人や客を喜ばせる工夫として
考案されていったのではと推察しますが
珈琲の未来を予感させる画期的な発明だったのではないでしょうか

その2

修行時代は若輩ゆえ、開店当時は未熟ゆえ
あまりものを考えずに、勢いだけで働いてきたというのが正直なところです(笑)

この仕事にかかわっての年月を振り返り、改めて整理したというところが本音ですが
すっかり浦島太郎になっていたと言うのが現実のようです
「カフェ」という概念ですら「珈琲屋」ではないらしですね(笑)

さらに、フレンチスタイルのカフェと言えば
1990年前後頃よりパリの老舗ブラッセリー風を指すのが一般的と伺いました
原宿にあったオーバカナル、広尾のデ・プレ、渋谷のドゥーマゴなどは代表選手なのでしょうね

フレンチスタイルのカフェを標榜するcafe螢明舎の位置づけとなると
・・・「昭和テイストの喫茶店」・・・
と言った表現を頂戴します(笑)

さてと・・・本題です

〇 フレンチローストのオールド・ビーンズ(エイジング・ビーンズ)
〇 ネルのハンドドリップとデキャンタ
〇 磁器のデミタスサイズのコーヒーカップ
〇 加えてフランスの田舎風のインテリア

修行時代、最初に教えて頂いた「フレンチスタイルのカフェ」の条件です
特にオールド・ビーンズを扱うことが出来るかどうかは大変重要な付加価値であり
抽出の技術とあわせ「意識」を求められるものでした

また、オールド・ビーンズ(エイジング・ビーンズ)を安定的に供給するに必要な環境を用意する為
豆の選定、エイジング、焙煎といった工程は焙煎人が担当

直接お客様に楽しんで頂く場として
経営、環境造リ、抽出、サービスは店舗のオーナーが担当するというコンセプトでした

<相当量の珈琲豆をエイジングする期間、商品としての換金性はありません
したがって、手間と隙を惜しまず出来上がったエイジングビーンズの美味しさをお届けする為に
修行を通じ、コンセプトの共有と技術の伴った店舗経営者が求められました・・・>

現在でも、六本木のカファ・ブンナ、広尾、原宿のカフェ・アンセーニュ・ダングル
青山のレ・ジュ・グルニエ、乃木坂のカフェ・ド・ラペ、など、など・・・
名店としてその存在感を堅持しておられます

cafe螢明舎では、上記の条件を満たしながら、千葉の住宅街という難しいロケーションを背景に
エイジング・ビーンズ専門店として、オリジナルなエクステリアとインテリアをご用意させて頂き
さらには、焼き菓子類を加えることで「様式」を堅持しようと努力させて頂いております

と、まあ堅いお話とは成ってしまったのですが
珈琲一杯にこうゆう価値観があったのかとご理解頂ければ幸いです。

月光

cafe螢明舎には

何人かの巨匠と言われるピアニストのアルバムがあります
中でもバックハウスのピアノソナタ集
とくに「月光」は端正な音色でビロードです

そして、私をあの頃に連れて行ってくれるのです

痩せこけて、Tシャツに絵の具だらけの汚いGパン
ベルトは無いので紐でありました
キャンバスを抱え、電車に乗ると人が離れます

アルバイトに明け暮れ、孤独な都会暮らしでありました
浴びるほど飲む酒は切なくて「俺はいったい何やってんだろ」
なんていつも考えていました

画学生時代、都立家政(高円寺の奥まったところ)という所に下宿していました
木造二階建てのアパート、西日のキツイ角部屋で
南側には少々汚いが妙正二川が流れていました

昼夜逆転した生活は、きつい西日が目覚まし代わりです
いつものように全部の窓を開け放ち、玄関のドアまで全開にしていると
抑制の効いたピアノの音色が風にのって聞こえてきます

ベートーヴェンの「月光」でした
それは東側に広がるこんもりとしたお屋敷からの旋律でした

いったい誰が引いているのか・・・
妄想は広がるばかりでしたが、ついにお逢いすることはありませんでした
(私の中では、深窓の令嬢、黒髪は腰まで伸びやや病弱・・・と決まってました・笑)

そんな前後不明の輩の巣を、1人のクラスメートが訪ねてくれました
微笑がいつも優しくて、よく勉強を教えてくれました
鬱積したエネルギーを「うん、うん」と必ず受け止めてくれたものでした

彼女は30歳そこそこで病を得
優しい旦那さんと一粒種を残し他界されました
あんなに悲しいお葬式はありませんでした

日が傾きはじめると「月光」が聞きたくなります

荒れ果てた心に西日のアパート
なにより、底抜けに優しかったクラスメートの微笑が巡ります

1970年代後半のあの頃です。