
「絵描きは生活をやらなければいけません」
師の言葉を反芻し公募団体に所属しながら
絵描きとしての人生を模索しておりました
この「生活」とは画業を継続するため収入を確保することを意味します
絵を描くことは「仕事」と言うことになります
年に4回の展覧会(上野東京都美術館や銀座のギャラリー)を中心に
アルバイトやら絵画教室などで生計をたて
まったく暗中模索の毎日でした
師の言葉を反芻し公募団体に所属しながら
絵描きとしての人生を模索しておりました
この「生活」とは画業を継続するため収入を確保することを意味します
絵を描くことは「仕事」と言うことになります
年に4回の展覧会(上野東京都美術館や銀座のギャラリー)を中心に
アルバイトやら絵画教室などで生計をたて
まったく暗中模索の毎日でした
そんな折、京成谷津遊園の閉園が決定し、園につづく商店街での暮らし、
家業が成り立たなくなってしまったのです
時折お金の無心をしていた私にとっても大問題(笑)
私は、家長である母を説得し「喫茶店」の経営を考えたのです
「3年も辛抱すればアトリエにもどれるだろう…」
そんな稚拙な出発点でした

しばらく筆をおき、修行に出る事を決意したのですが…
アトリエに篭り自閉症のような生活をしていた者にとっては
難行苦行だったのはなんとも情けない話です(笑)
アトリエに篭り自閉症のような生活をしていた者にとっては
難行苦行だったのはなんとも情けない話です(笑)
嗜好品としていろいろな価値観に出会いながら
いつのまにやら本気モード…
結局は「喫茶店」ではなく「フレンチスタイルの珈琲屋」という
ディープな分野にたどり着けたのはほんとうに幸運でした
フレンチスタイルは当時傑出した珈琲の価値観を作り出しており
(現在は絶滅危惧種ですね…笑)
珈琲好きにとっても憧れの分野であったのです
この分野で技術を習得できたことは
現在に至るまでcafe螢明舎を
支え続けてくれる、貴重な修行になりました

ちなみに……
「けいめい」は確か『蜻蛉日記』の一節から
忙しく立ち働く、といった意味であったと記憶しています
それに苦しかった画学生時代を投影させて「螢明」と
当て字をさせていただきました
なんとも青臭くお恥ずかしい限りです